『感情の音に耳を傾けて』  

坂本純子

202012月号掲載

 

“はなしききや ” の活動を開始し七年が過ぎました。

毎月二回(第二・第四水曜日)十三時~十五時半まで千葉県船橋市勤労市民センター喫茶室で「聞き会うかふぇ」を開き、訪れた方の話に耳を傾けています。

 

聞くことは自分を信じ整えると共に、相手の命を聞かせていただくことでもあります。

どんな言葉にも、奥にはどうしようもない感情が音に姿を変えていると思います。

そのため、発せられた言葉に乗る“感情の音"に耳をそばだて、微妙な変化を聴き逃さないようにしているのです。

 

ある時、「仕事上の悩みを聴いてほしい」という女性がいらっしゃいました。

会社での人間関係について吐露される中、言葉の音の僅かな変化を感じ、「それは?」と促すと「うーん、実は主人があまり理解をしてくれないんで」とつぶやかれました。

私はこの“感情の音"の変化に反応しました。

「それで、ご主人とはどうなの?」と、ご家庭の話を聴き続けていくうちに、母親としての立場もあり、子供にはご主人と仲の悪い姿は見せられないと苦しんでいたことが分かりました。

 

ひと通り話を聴き終えた後、その方の声の音に合わせ「辛いわねえ、それは」と声を掛けました。

すると女性の心の底にあったマンホールの蓋が少し開いたのか、声をしのんで涙を流されました。

それまでの軽い音ではなく、絞り出すような深い本音が滲んでいました。

 

私は普通のおばさんですから、おこがましくアドバイスやジャッジをすることはできません。

ただ、その方の感情の音と同じような音、同じ波長で寄り添い全身で聞かせていただくだけです。

その人が息を吸ったら私も息を吸い、同じ景色を見ている状態かもしれません。

相談する人はその時点で既に自分の中で答えとなる光を持っていると信じており、私はご本人が自分の中にある答えの光に辿り着まで辛抱強く、“感情の音”を聴かせていただいております。

 

聞く私は意識を深く沈めていきますので、話をする方の音が深くなればなるほど心で繋がっているようなイメージです。

結局この女性も最後には「逃げずに主人と話し合います」と前向きに帰っていかれ、現在は家庭円満でキャリアウーマンとしても活躍されています。

この “感情の音” の大切さの気づきは、私自身の介護経験に因るものです。

 

 

二〇〇八年に主人が脳出血で倒れ、その二年後には認知症も患いました。

主人は近い出来事からどんどん忘れていき、次第に排泄の失敗も繰り返すようになりました。

病に不安を抱く主人と介護疲れをした私、自宅で二十四時間介護をしていると、頭では分かっていても感情を抑えきれず、主人を怒鳴り散らす日々が長く続きました。

私が怒れば怒るほどニヤニヤと笑う主人の顔を見る度に、胸が張り裂けそうになるのです。

しかし、自分を普通だと思っている私自身がおかしいのではないかと自分を責める日常との闘いでした。

 

ある夜、認知症治療で高名な先生の講演会に参加するため、主人を家に一人残して外出しました。

「もし大を失敗したら、汚れた衣服は風呂場にすべて置いといて」と声を掛け、「うん」という返事を確認して出掛けました。

ところが、講演が終わり帰宅するとドアを開けた瞬間から異様な空気が漂っているではありませんか。

廊下に何かを拭き取った後がくっきりと残り、排泄に失敗したのが一目瞭然。

寝入っていた主人は下着だけは着替えていました。

しかし上着や布団は汚れ、トイレも排泄物がこびりつき悲惨な状態。

汚れた衣服も散らばったままでした。

汚れ物の後始末をしながら、ハッとしました。

認知症になってから、一度も自分でタンスから洋服を出したことのないような主人が、自ら着替えて僅かでも掃除をしてくれていた。

ああ、主人は自分なりに精いっぱいやってくれたのだ・・・。廊下を掃除しながら初めて涙がぽろぽろと溢れ出で仕方ありませんでした。

私はやっと相手の立場に立って考えることを教えられたのです。

この体験が忘れ難く、同じように苦しむ家族をサポートしたい一心で、冒頭の「はなしききや」の活動を開始しました。

 

同時期に、私を変え、支えてくれた一冊に出逢えたことはとても倖いでした。

それが修養団体「一燈園」の三上和志さんが書かれた『人間の底』です。

詳細は省きますが、三上さんは悪いことをして詫びるのは当たり前、善いことをしてもなお詫びる。

その姿勢が大切だとおっしゃるのです。

「身を捨てて、ささげて、尚、ささげる方が足りないように、おわびする」この一文は衝撃でした。

何度読み返したか分からないほど繰り返し読み、人としてのあり方を教えていただきました。

そしてその姿勢で主人の介護に当たると、同じ出未事でも捉え方が変わり、「開き会うかふぇ」でも相談者の感情の音に寄り添えるようになりました。

 

今年八十一歳を迎えた私は後期高齢者ならぬ“光輝高齢者”。

「はなしききや」の活動は結局、聴き手のあり方、人間力がとても重要だと思っています。

「会いたい」と思ってもらえる人になるべく、生涯自分磨きに努め、この身を捧げたいと思います。

 

 

「さかもと・じゅんこ」ー(はなしききや代表)